先日、精神科に2度目の通院に行ってきました。
前回の初診では診断は出ず、
いくつかの検査を受けました。
今回は、その検査結果の説明でした。
診断結果
まず、結論から書きます。
- ADHD(注意欠如):10点中8点
- ADHD(多動性):10点中7点
- ASD:50点中36点
- うつ病:中程度の高め(重度まではいかない)
医師からは、
- ADHDはほぼ間違いなく該当
- ASDもかなり濃厚
- そして、うつ病の症状もある
という説明を受けました。
僕が恐れていた結果のすべてでした。
診断結果を聞いた瞬間、感情が消えた
僕は以前から、精神疾患に対して強い偏見を持っています。
正直、自分が該当することを、どうしても受け入れたくありませんでした。
薄々そうだと感じながらも、
認めている自分と、必死に否定している自分がいました。
診断結果の紙を渡され、説明を受けている最中、
頭が真っ白になったわけではありません。
怒りも、悲しみも、安堵もない。
本当に、「無」でした。
「知れてよかった」とは、どうしても思えなかった
病院を出て、薬局に向かいました。
今回は、ADHDの薬が処方されました。1日1回飲む薬です。
処方箋を受け取った瞬間、
僕は一つの感情に呑み込まれました。
絶望でした。
世の中では、よく聞きます。
- 病名がついて安心した
- 自分のせいじゃないと分かってよかった
- 知れてホッとした
周りの人も、
「知れてよかったね」と言ってくれました。
でも、はっきり言います。
僕は、何ひとつ安心できませんでした。
むしろ、
少し病院に行かなきゃよかったとすら思いました。

行かなきゃよかったと思った本音
どうせ治らないなら、
「知らぬが仏」という考え方もあると思います。
知ってしまった以上、
この症状と一生向き合っていかなければならない。
逃げも、隠れもできません。
症状を把握しなくても、
ある程度仕事はできていたし、
出世も、もしかしたらできたかもしれない。
だったら、
余計な苦労を背負わなくてもよかったんじゃないか。
そう思ってしまいました。
障害があるなら、無理に高みを目指さなくていい
正直、今の僕の生きるモチベーションはこうです。
障害年金をもらえるレベルなら、それをもらいながら
週休3日くらいで、
手取り合計20万円くらいで、
静かに暮らせばいいじゃないか。
高みを目指す必要もない。
無理をする必要もない。
頑張る必要もない。
どうせ障害がある以上、
どこへ行っても、何をしても、
完全に理解されることなんてない。
だったら、
苦しむだけの人生を自分に課す意味があるのか。
正直、僕は
「強く生きたい」とは思いません。
もう、どうにでもなれ。
今は本当に、その感情で胸がいっぱいです。
生まれてこなければよかった、と思うほどに
いっそのこと、
この世に生まれてこなければよかった。
本気で、そう思います。
うつ症状があるから、
こういう考えになるのかもしれません。
でも、
「死んだ方がマシだ」と思っている人の気持ちが、
今は少し分かる気がします。
それでも、生きる選択をする
正直に言うと、
診断結果を聞いた直後の僕は、
「もうどうでもいい」という感情しかありませんでした。
このまま投げ出してしまってもいい。
そう思うくらい、心は空っぽでした。
それでも、ふと頭に浮かんだ顔がありました。
先に旅立った、ひいおばあちゃんです。
特別に厳しい人だったわけでも、
立派な教えを説く人だったわけでもありません。
ただ、
どんな時でも黙って見守ってくれて、
僕が弱いままでいることを、
否定しなかった人でした。
こんな終わり方をしたら、
きっと、面目が立たない。
そう思いました。
その日、病院のあと、
人と少しだけ時間を過ごしました。
特別なことはしていません。
話して、歩いて、
ただ同じ時間を共有しただけです。
でも、その何気ない時間が、
現実に引き戻すには十分でした。
「まだ終わらせるには早い」
そんな感覚が、静かに残りました。
断ち切れなかった理由があった
これは、
誰かに認められたいからでも、
支えられているからでもありません。
ただ、
この人生をここで終わらせてしまうには、
まだ残しているものがあると感じました。
誰かのために生きる、
そんな立派な理由じゃありません。
ただ、
自分が歩いてきた時間を、
無意味にしたくなかっただけです。
新たな人生の始まりとして
これは、
社会のためでも、
会社のためでも、
仕事のためでもありません。
僕自身と、
僕の周りの大切な人たちのための、
新しい人生の始まりなんだと思います。
※精神科に行くまでの経緯や、初診の日の記録は、こちらの記事にまとめています。



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