年越しで見えた「期待」と「居場所」

ASD/ADHD
この記事は約5分で読めます。

今年の年末年始は、いつもの「区切り」ではなく、私にとって“期待と孤独が同居する時間”になりました。
年越しや年明けの祝福ムードの中で、心だけが宙に浮いているような感覚があったからです。
その感覚を、今年ははっきりと感じました。

年末に生まれた期待

まず一番大きかったのは、ADHDの薬(ストラテラ)を処方されたことです。
この薬で、うつやADHDのしんどさが少しでも軽くなる可能性がある、と医師に言われました。

正直、「薬で全部が変わる」と言い切れるほど単純じゃないのも分かっています。
それに、自分に障害があることを、まだ素直に受け入れきれていない部分もあります。

それでも――これで少しでも楽になれるかもしれない。
そう思うと、どうしても期待してしまいました。

今まで理解されなかった行動や考え方、発言。
そして、自分自身ですら扱いきれずに苦しんできた“自分の中のズレ”。
そういうものから解放される可能性があると思うと、胸の奥が熱くなって、嬉しさで涙が込み上げてくるんです。

もちろん、「効かなかったらどうしよう」という不安も同じくらいあります。
それでも私は、希望にすがりたくなっていました。

年末の私は、その期待と不安を抱えたまま、救われたい気持ちの方が勝っていました。

温かかった“当たり前”

12月23日から1月8日まで、地元に帰っていました。

年の離れた弟やいとこ、姪っ子たちにも会って、お年玉だけで4万5千円。
痛い出費のはずなのに、それ以上に、家族に会えたことが本当に楽しかったです。

姪っ子がはしゃいで、弟が少し照れながら近況を話してくれて、食卓に人が集まって、くだらない話で笑う。
そういう当たり前が、こんなに温かいものだったんだと、久しぶりに思いました。
「来てよかった」と思う瞬間が、ちゃんとありました。

ここは、今年の年越しで救われた部分です。

帰ってきたのに、帰る場所がない

ただ、楽しいだけでは終われませんでした。

父方の実家へ、その後は母方の実家へ、また父方の実家へ。
移動のたびに荷物をまとめて、挨拶をして、また次へ行って…。
落ち着きたいのに、落ち着けない。安心したいのに、完全には安心できない。
この“行ったり来たり”が、どこか私の心の状態そのものみたいでした。

行ったり来たりを繰り返すのは、泊まれる場所が限られているからです。

帰ってみて強く感じたのは、
「私の居場所はもうここにはないのかもしれない」
という感覚でした。

理由ははっきりしています。
私は母と、障害(ASD、ADHD、PTSD、うつ)がきっかけで絶縁しています。
だから、帰る実家が私にはありません。

祖父母の家、叔父叔母の家、帰省しているのに、どこか「泊めてもらっている側」の気持ちが抜けません。

家族の輪の中に入っても、私は中途半端に年上、気を使う側。
話題を回したり、子どものお守りをしたり、盛り上げ役に回ったり。
すると今度は、自分が本当にそこに居ていいのか分からなくなってきます。

祖母は「いつでも帰ってこい」と言ってくれます。

でも私は、素直に「うん」と言えません。
遠慮が先に出ますし、甘えることが怖い。
優しさに触れるほど、「申し訳なさ」が膨らみます。

だからこそ私は、優しい言葉をもらっても、その場で返す言葉が少しだけぎこちなくなります。
嬉しいのに、怖い。
安心したいのに、失うのが怖い。
そういう矛盾を抱えたまま、私は笑っていました。

関係性も、時間も、今の仲の良さも、全部が「見栄」に見えてしまう瞬間がありました。
みんな優しい。
みんな気にかけてくれる。
なのに私は、「ここに長くいたら、いつかボロが出る」と勝手に構えてしまう。

居場所がない、というより、“居場所を信じきれない”のが正しいのかもしれません。

夜、部屋が静かになると、楽しかったはずの記憶が急に薄くなり、
「自分は結局ひとりだ」と感じます。

そういう波も、何度か来ました。
誰かが悪いわけじゃないのに、心だけが勝手に孤独へ戻っていく感じです。

それでも、弟たちの下の世代にはカッコつけたい自分がいます。
頼れる兄でいたいし、弱いところは見せられない。
だから余計に、笑顔を作って、普通を演じて、心の中だけを必死に整えていました。

かっこつけたいのに、居場所がない気がする。

この矛盾が、年末年始の私のリアルでした。

“できる時間”が増えてきた

ですが、悪いことばかりではありません。
年が明けてからは、薬が「いい感じに効いてきている」と実感できる瞬間が増えました。

頭の中のノイズが少し減って、作業が進む。
気づけば手が動いている。
やるべきことを前にして固まる時間が減っている。
そんな感覚が、たしかにあります。

もちろん、毎日ずっと調子がいいわけではありません。
それでも「前より少し楽かもしれない」と思える瞬間が増えたことは、私にとって大きな変化でした。
(※薬の詳しい話は別記事でまとめます)

2026年は「安定」を設計する

それでは、2026年に何を目指すのか。

私の目標はシンプルです。
「安定した生活を手に入れる」ことです。

派手な目標より、崩れない仕組み。
気合いより、続けられるルール。
私は今年、それを優先します。

そして今回の帰省で、はっきり分かったことがあります。
安定は、私ひとりでは作れないということです。

私には「絶対的な味方」がいます。
父方の祖母、母方の祖父、そして今、隣で支えてくれているパートナーです。
私にとってこの人たちは、
安心して寄りかかれる場所であり、何があっても味方でいてくれる存在です。

山口県は、私が育った町であり、祖父がいる場所です。
いつ帰っても、家族が近くにいて、祖父が待っていてくれます。

福岡県は、私を支えてくれた町であり、祖母がいる場所です。
いつ帰ってきてもいい環境を作ってくれている祖母がいます。

そして私の今住んでいる場所の近くには、パートナーがいます。
私の症状を知ったうえで、理解してくれようと努力してくれて、私に合わせて支えてくれています。
今回の長期帰省でも、会えない間ずっとこまめに連絡をくれていました。

安定は、気分じゃなくて設計で作る。
そしてその設計を支えてくれる「人」と「環境」が、私にはあります。
年越しを過ごして、私はその方向に舵を切りたいと思いました。

まとめ|年越しで感じた不安を“分かる形”にしていく

今年の年末年始は、期待と孤独が同居する時間でした。
地元で笑える瞬間もあった一方で、「帰っているのに、帰る場所がない」と感じる瞬間もありました。

それでも年が明けてから、薬で“できる時間”が少しずつ増えてきた実感があります。
そして私は、2026年は派手な目標ではなく、崩れない仕組みを作って「安定」を設計していくと決めました。
安定は気分ではなく、環境とルールで作る。そう思える年越しでした。

その中で、私が病院に行く前に一番怖かったのは「費用」の不安です。
初診料って調べても幅が広く、検査が入るかどうかでも変わる。結局いくら準備すればいいのか分からない。
分からないことが、不安を何倍にもします。

私も行く前は、財布にいくら入れておけばいいのか、それだけで何日も悩みました。
「知らない」が一番の敵でした。

なので、次の記事では領収書ベースで「実際にいくらかかったのか」を整理します。
同じ不安を抱える人が、少しでも安心して一歩を踏み出せるように。
年越しで感じた不安を、“分かる形”に変えていきます。

コメント

タイトルとURLをコピーしました